大阪までヒッチハイクした話 後編
清水のホテルを手配してくれたのでそこに泊まり2日目に突入する。
朝食はバイキング
ビジネスホテルのバイキングってすごく好き
「今日も頑張ってください!」
って感じが凄くする。 わかる人いるかな
あと野菜ジュースもあるし。
朝9時にインターチェンジの前で開始する。
とりあえずとなりの浜松か思い切って名古屋まで行ってしまいたい。
その途中でロシア人のヒッチハイクしているカップルに出会った。
彼らは京都に向かうらしい。
昨年僕もモスクワにいたのでたわいもない話をしながら車を待った。
全然止まらない、、、、、
そこに突然トラックが止まり窓が開いた
「名古屋に向かうなら反対車線だよ! こっちは違うよ!」
正反対の場所にいたのである そりゃ止まらないわ、、、 こうも親切に教えてくれることがよくあった。
「ごめんね乗せてあげられなくて」
その言葉でもう十分だった、、、、、
とりあえずインターチェンジ入り口のコンビニで待機することにした。 その横にはあの さわやかハンバーグの店があった。
いつか行ってみたいと思ってたけど、こんな形で初対面すると思わなかった。
流石に1人で入るのはグロすぎるので先を急ぐ。
インターチェンジの手前のコンビニでしばらくボードを掲げていると仕事中のサラリーマンの方が話しかけてきてくれた。
浜松まで仕事で行くからついでに乗せて行ってあげるねと言ってくれたのでお言葉に甘えて浜松へ
浜松のパーキングエリアで降ろしてもらってお礼を言って別れた
その直後 仕事の休憩中にコーヒーを飲んでる2人組の会社員の方に
「ヒッチハイク?? 大阪まで行くの??」
「珍しいね 名古屋まで今から仕事で行くから途中のパーキングエリアまでなら乗せて行ってあげるよ!」
こうしてすぐに車に乗せてもらい名古屋まで出発した
愛知県に行くのは初めてだった。
このような形で行くことになるとは、、、、
しばらくして僕は名古屋市内から少し離れた
守山パーキングエリアで降ろしてもらった。
そこには車が20台くらいしか停まれない狭いPAだった
ここが地獄の始まりになることを鵜飼はまだ知らなかった、、、、
そこでは大学生2人組が熊本に帰るとのことでヒッチハイクをしていた。
彼らは、ここで2時間近く待ってるらしく全然捕まらないと言っていた。
話し始めて20分くらいしただろうか、彼らの前に車が止まり 2人とも大喜びしていた。
僕は2人にお別れをし 指を交差させて幸運を祈るのサインを送る🤞
さて自分も、関西に向けてひと頑張りしようとした途端から悪夢が始まったのである。
日没とともに車が減っていくのである。。。
やべぇよ やべぇよ
トラックしかいねぇ!やべぇ
※トラックは、基本会社の人間以外乗せれないことになっているので100パー乗せてくれない
まだ20時だぞ なんでこんなに車がこねぇんだ
しかもクソ寒い❄️
それに追い打ちをかけるように雨が降り始める。
万一の確率にかけてトラックに向けてボードを振るが誰も見向きしない。
トイレ休憩のために出てきた運ちゃんは、こちらを一瞥するが
小声で「無理に決まってんだろ、、」
的なことを呟いていた。
だめだ! 自分は乗せてもらう立場でありこんなど金髪乗せてくれるだけで有難い身分なんだ腹を立ててはいけない!!!
乗せてくれる人のために顔が見えるようボードを持ち 笑顔を作ること。
なかなか止まらない時これが一番難しい、、、
乗せてもらうためにいい印象を持たせなければならない
少しでも気をぬくとガチで真顔になってる自分がいた。
この際関西なんていいなら ここ(守山)よりもマシな隣のパーキングエリアでもいいから連れ出してくれ、、、、
こんなことを思いながら深夜になる。
もう名古屋市内まで歩いて行ってしまおうか、、そして新幹線で帰ろうかな、、、、
パーキングエリアの周りをウロウロしたり
近くのトンネルの近くをさんぽしたり。。。
携帯いじって時間潰せばいいじゃんと思うかもしれないが。 ボードを掲げながら携帯いじってるやつなんてそんな受け身体制だと態度悪く見え印象が悪い、、 いつ誰かが乗せてくれるかわからないから気を張っていたのだ。
そんな中で、トイレ休憩から帰ってきた男性に
「全く逆の方向行くから乗せてあげられないんだ、、、 ごめんね 頑張ってね」と声をかけられた
頑張ってと言う言葉がお吸い物のように染みた
顔が熱くなった
ただもう今日は、確実に捕まらないと思い雨をしのぎながら野宿を決意する。
カマキリとコオロギが沢山いる中で寝苦しいながらも寝ることにする。
しかし20分に一度目が覚める。
起きては時計を確認し まだ朝はこないのかと躍起になっていた。
こんなに朝が待ち遠しいとはおもわなかった、、、
〜朝4時頃〜
だんだん夜が明けてきた
地獄も終わりが見えてきた。
ファストフードの自販機で台湾丼をたべた
クッソ美味かった、、、、、、、
1台 2台と車も来るようになり ヒッチハイクを再開することにした
しかし車は止まらない
朝9時になり完全に太陽が上がる☀️
このまま12時まで止まらなかったらもう新幹線で帰ろう、、、、、
そう決意した。
守山でヒッチハイクを始めて16時間ほど経過していた、、、、、、
そんな地獄もついに終わりの時が来る
老夫婦の方が車で手招きしていた
最初なんだかわからなかったが猛ダッシュで車に向かった🚗
暑いでしょ?? 大変だと思って、、、
乗りなさい 養老(岐阜)まで乗せて行っちゃる
僕はものすごく感激し この上ない嬉しさと莫大な安心が混ざった気持ちになった。
ガチで仏に見えた。
ついに守山から抜け出せる、、、、
PAを出る時とても清々しかった、、、、
養老SAは、人も車も多いと聞き 大阪までも100キロ程度なので今日の夜には大阪入りできるのではないかと期待した。
養老についた
周りの人の多さに感激している中 バイクのカップルも手を振ってくれていた
人がとても暖かった、、、、
そうしているうちにとてもナウい(死語)おっちゃんが手を振りながら歩いてきた
どこいくのー??大坂に今から帰るよー!!乗るか???
え!? 大坂!!?? 最終目的地の!?
その瞬間バイクのカップルや周りにいた人たちが拍手していた
僕は感動のあまり周りにありがとうございますとか色々言って回っていた
そしてまたびっくりしたのが
あの車だよと言って案内された車がレクサスのスポーツタイプの白いやつだったことである
もう色々なことで驚きがあり
フィナーレを飾るにふさわしい車ですねとか色々言っていた
コーヒーがキンキンに冷えてる
全国のサーキットなど周ったりゴルフをしてるらしくて かなり体力もあるしファンキーなおっちゃんだった
途中京都を通る時など あれが嵐山だよと教えてくれた。
ついに関西についたんだ、、、
そんなことで胸が一いっぱいになった。
大坂までもうすこし!!
こんな早く着けるとはおもわなかった。
そしてついにヒッチハイクは、終わりを迎える
大坂のビル群がだんだん見えてきた
久々の都会で大興奮する🏙
市内へ到着し荷物を降ろしてもらった。
おっちゃんに別れを告げた後
人混みや若い女の子が行き交う中 バックパックを背負ったボードを持ちぽつんと立ち尽くしていた。
まるで終戦を知らずに戦後20年してから帰ってきた帰還兵のようだった。
周りの視線が刺さる
しかしもう恥じらいというものは全くない
やり遂げたという達成感が溢れに溢れて一人で目を輝かせていた。
こうして東京〜大坂のヒッチハイクをしてきた中で、沢山の人の話を聞けたし 色々な考えがあることや、人間まだまだ捨てたもんじゃないことなど感じた。
僕を乗せてくれた人は、皆個性的で、夢を応援してあげたいという考えを持っている人だったし、中には、僕もそういうことしてみたかったな と言ってくれる人もいた。
ヒッチハイクを通して一番素晴らしいのは、乗せてくれた人である。
こんな自分を不審がらずに乗せてくれる人が一番素晴らしい。
かりに自分が逃亡犯だったらどうしようという不安の中わざわざ乗せていただいて(仕事中だったり)くれたのだ。
ゴールできたことだけじゃなくて、ゴールまでの過程を最大限に楽しむことがヒッチハイクであるし、なんか人生にも似ている気がするなと感じました。 (23年しか生きてないけど)
そんな気がする、、、 はい
金はないけど時間がある大学生だからできることだからできたことだと思う。
金を使わない遊びも金を使う遊びも知ることが大事だなって思いました。
大坂まで乗せてくれたみなさんありがとうございました。
※清水のお兄さんには、到着したことをちゃんと伝えました。
今度は、チャリで大坂まで行ってみようかな
ほんじゃ ばいびっ!!
屋台でコロッケ買ったらコーラをおまけでくれました。